21年目。

阪神淡路大震災から21年目。

21年経ちますが、今なお忘れられない出来事です。


当時、私は小学6年生。

震源地は隣の隣の町、北淡町。


早朝、何が起こったかなんてわからず、布団の中。

前の空き地は地割れし、家の中の家具は動きまくっていました。


何日もけっこう強い余震が起こるたびに掘りごたつに滑り込んでました。

掘りごたつに滑り込むと、お母さんは作詞作曲の歌を歌います。(笑)

工務店経営をしていた父は、余震の中、現場を廻って留守でした。

それが怖くて仕方がなかったことも覚えています。


震源地と言え、復旧が早かった淡路島でした。


テレビがついてから見た光景はいまだに忘れられません。

神戸が、焼け野原・・・

生かされた自分だと小学生ながら強く感じました。


初めて真剣に祈りました。

早く、火が消えますように。早く、あたたかいご飯が食べれますように。

誰に何をでなく、心がざわついたら祈るしかできないんだと・・・

すぐにオウム真理教のサリン事件が起こってからニュースが一変したことも忘れられなくて

なぜ、このような時にそんな事件が起こるのかわけがわからなかったことも・・・


私の通う小学校は再開も早く、神戸から避難して淡路島に来た人達もいました。

授業そっちのけで、当時担任の隈下先生が募金を呼びかけ、皆で精力的に取り組んだことも覚えています。


強烈な出来事ってずっと残ります。


犠牲になられた方達の命の尊さ、なんで、何も悪いことしてないのに・・・って感じた理不尽さ。

尊い人を突然失う哀しみ、人災だ!って罪をなすりつけあう人達、正当な気持ちを不正に使用する人達、

正直者は馬鹿を見るとあきらめる人達、なんで?って


現場廻りに勤しむお父さんに一緒に行きたいって懇願して一度現場廻りに連れていってもらったら

そんな気持ちとは裏腹に、黙々と復旧作業する人達、「今生きているから、今目の前のことをする、生きるために」そのような姿勢を見て、ひねくれた感情のまま成長せずにすんだと、自分が成長すると同時に、こうして年月を重ね、思い出すたびに気付かされます。



21年。私みたいに当時小学生だった年に生かされた世代が今、私みたいに子育てしているって多いと思います。子供ができると、身動きが取りづらくなります。

抱っこして逃げる。子供の歩幅スピードにあわせていたら間に合わないこともいっぱいある身。


21年前に守らていた私は、今守る人がいます。

この守る使命がある以上、決して忘れてはならないと、改めて今の自分の姿勢を自問します。


21年前に犠牲になられた多くの方達に哀悼の意を表すと同時に、被災された方たちに心からお見舞い申し上げます。


過去は過去といいますが、過去があってこその今。

そして今を積み重ねてこその未来。


そして生きていることに、生かされていることに気付かされる日。

哀しみは癒えることはないかもしれません。

共有する人達がいて癒えることができると私は思っています。

心の中にずーっと生きている人達がいるから今の自分があるということ、そしてその人達の分もあわせて生かされた命を大切にと・・・心からお祈り申し上げます。


事実もですが、感情の共有者がいて癒すことができますように・・・


今日は晩御飯、ピカピカに食べてごちそうさまが言えました。

食器を重ねてシンク台に持っていくことができました。


そうやね!ご飯一粒、一年間!

残さず食べて、ごちそうさま、そして笑顔がいいね(*^_^*)


yaruyan


やるやん!大志!


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sone base ナチュラルライフオーガナイザーの秋田真沙美です。


兵庫県高砂市曽根町をベース(拠点)に、

暮らしのベース(土台)作りをサポートしています。


リフォーム、リノベーション 
お片づけ相談、インテリア相談、大工さんによるアドバイス相談


暮らしの事、お住まいの事、何でもお気軽にお声掛けください♪

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